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大海を泳ぐ

メンヘラを気取るオタクをしています

推しに出会うことから始まるエトセトラ


舞台を観に行ったら推しに出会った。胸がドキドキして息が苦しくなって彼がキラキラ輝き出す。久しぶりの感覚だった。あ〜好き!この人が好き!ぐるぐるしたピンク色の頭の悪い感情が渦巻いて最高にドキドキした。本命を降りてから初めての感覚だった。いやあ、出会えるもんですねえ!推しに出会えて最高にハッピー!



でもこれが実に厄介なのです。何年かぶりに、推しという存在にリアルに恋をしている。りあこ拗らせた。ワァ!この感覚も久しぶりである。やばい!

そもそもわたしは推しを好きになるときいつも初めはリアルに恋した状態から入るのでこれが正常といえば正常だし、推し(仮)に出会ったときはこんな気分にはならなかったので推しに出会うってこういうことだ〜!って久々の感覚にわくわくもしてるわけですけど、それと同時に既に地獄を味わっています。りあこは地獄だって話はよく耳にする。確かに何度体験してもやっぱりりあこは地獄だ。

前述の通り、今まで色んな界隈顔出してきてどこの推しも好きになった最初はリアルに恋してた。(1人だけ違うけど。)好き好き大好き!わたし以外なんて必要ない!って思う。りあこ=排他主義だとは思わないけど同担拒否の理由として1番に挙げられるのはやっぱり「りあこ」だ。そりゃそうだ、だって恋してんだもん。この辺については後で書きます。わたしの場合、気付いたら恋をしているキラキラの感情はなくなって何でもない義務みたいな気持ちに変わっていくんですけど。まあ若かったってのもありますかね〜?!(大の字)
余談だけどこの間友だちに会ったとき、「でも最初本命さん好きになったとき『このまま追ってたら結婚出来ないけど結婚したいし結婚しても追っかけ続けたいし、本命が結婚してくれたらまるっと解決じゃない?!』って言ってたよ」って言われて金槌で殴られたような衝撃を受けた。やばくない?!全っ然覚えてないけど流石に自分に引いた。思考回路は明らかにショートしてるし病的にキモい。っていうか最早病気…。ちなみに今はそんなこと微塵も思ってないです。っていうか寧ろ本命となんて絶対結婚したくない。優しい人だったけど、人として欠陥があるのでは…と思わされる節が何度かあったので。まあほんとの彼のことなんて何ひとつ知らないしわたしが見てたのは俳優としての彼だけだけどね!そしてもっとシビアで現実的なことを言えば彼らは自由業ですからね!!ローンとかね!!


それは置いといて、りあこという地獄に今現在身を置いているわたしは、推しがかっこよくてハッピーでキラキラした気持ちと何人たりともわたしと推しの仲を妨げるやつは許さん(流◯くんが好きです)というクソみたいな気持ちがせめぎ合っていて日々地獄を見ています。

新しい推しはツイッターやっててわたしもリプ垢なるものでリプを送ってるんだけど、見ようと思えば他のオタクからのリプが見えるわけですよ。見なきゃ良い話だけどね。それを見て嫌悪感は最高潮になる。当たり前のことなのにこの人にはわたし以外にもオタクがいるという現実に直面して病み期に入る。1日に1回は呟いてくれるので1日に1回はこの浮き沈みを繰り返します。見たくなきゃ見なきゃ良いってまさにその通りなんだけど怖いもの見たさというか、人間の心理だよね?!彼のオタクみんないなくなってほしいと心から思っている。(半分本気の冗談です。)
あと、ほんとにほんとのどがつく新規なので自分の知らない推しがいるっていうのも鬱を拗らせる原因の1つです。◯◯出は永遠の新規とか言われるやつだよ!!うるせえ!!!!リプ送ってるオタクの垢見ると過去の作品のこととか思い出とか呟いてたりしてほんと死にたくなった。何とかタイムスリップ出来ないかなって何百回何万回思った。時をかけたい。しかもね、まったく知らない作品だったなら「これはノーマークだったしな〜」みたいな気持ちにもなるもののにわかに知ってた作品だったから余計に悔しいんだよね!!何で行かなかったんだろう!!(そのときは本命がいたからです。)中々難しいことではありますが本命以外の舞台も顔を出すべきだなと。っていうかにわかでも沸ける作品だったから行っとけば良かったんだよな…。鬱だわ…。何でわたしには時をかける能力がないのだろうか。


とにもかくにも、りあこというのは病なので人に理解してもらうのは難しい。そして一口にりあこといっても、りあこの中にも様々なタイプがある。ちなみにわたしは恋をしているけれどガチでどうこうなりたいわけじゃないタイプです。この手のタイプの人多いよね。優しくされたらときめいちゃうし推しかっこよくてサイコー大好きだけどガチで付き合いたいわけじゃない。このタイプが多いんじゃないかと思っている。その他にも本気で恋しててガチでどうこうなりたい人もいるしガチでどうこうなるために行動してる人もいる。何人かそういう人にも出会ったことがあるけどこれは闇が深い。わたしには踏み込めない領域だと思った。好きだけど自分の理想のままであってほしいわたしにはちと荷が重いかなあ。でもそういう人たちには頑張れって思うし努力が報われることを切に願います。世の中にはまだまだ自分の知らない世界が山ほどあるのです。


早くりあこの地獄を抜け出して楽しい若手厨ライフを楽しみたいな!おわり!



ミュージカル「刀剣乱舞〜阿津賀志山異聞〜」を観たにわかの感想


特に書くことがないのでこの間観に行ったミュージカルの感想でも書こうと思う。この間って言っても、もう2週間くらい前になるけど。だってこのブログ、よく見てみたら暗い話ばっかりなんだもん!楽しい話したってバチは当たらないでしょう。


というわけで、この間「ミュージカル『刀剣乱舞』〜阿津賀志山異聞〜」を観てきました。マジかなり前。だいぶ忘れてる。
推しが出てるわけでもなく、ゲームやってるし人気だから観に行ってみようっていう野次馬根性と友だちがその日誕生日だったから、誕生日に公演があることなんてあんまりないから行こう!って思い立って取った。あんまり席も近くないし夜公演しかないし、京都観光メインのついでに公演観にって感じ。でも、結論から言うと刀ミュ、めちゃめちゃ楽しかったです。


わざわざわたしがあらすじを書かなくても他の人がたくさん書いてくれてるので見てもらえばわかると思うんですけど、舞台は阿津賀志山、話の中軸に据えられるのは今剣と岩融。刀剣でありながら人の身を持ったことによる葛藤や「刀剣男子」として成長していく様子が描かれているのですが。が。

いまつるちゃん、可哀想すぎる…。

正直、感想と言われればこの一言に尽きる。今剣は加州清光を隊長とする三条の刀で編成された部隊(team三条 with 加州清光)で阿津賀志山に出陣するんだけど、そこで自分のかつての主、源義経と出会って物語が展開していく。今剣ちゃんは死んだはずの大好きだった義経公に再会するわけですよ!生きてた嬉しいお側に行きたい!って今剣ちゃんは純粋に思って「みんなで義経公の家来になれば良いんですよ!」とか言いだしちゃって。でもやっぱり義経が生きてるのは本来の歴史とは違うから、義経には死んでもらわないといけない。今剣ちゃんもきっと頭では分かってるんだけど大好きだった義経公から離れられなくて死んでほしくなくって、1人で勝手に阿津賀志山に行っちゃうんですよ。もうね〜、この展開がしんどい!わたし、プロデューサー兼審神者やってて、うちの本丸にも今剣ちゃんはいるし、まあ現在の主はわたしだとしても前の主を忘れられない今剣ちゃんの気持ちは痛いくらいわかるわけで。ましてやね、一応今剣ちゃんの記憶では義経が自害したときに使った刀は自分になってるんだよ。義経が生きていて今自分は人の体を得て、刀として仕えていたときとは違って「今剣」という人間として彼に尽くすことが出来る。大好きだった義経公を殺さずに済む。だから仲間に刀向けちゃったりしてさ。とてもしんどい舞台だなあと心底思いました。結局紆余曲折を経て今剣ちゃんは岩融と共に義経ではなくなってしまった敵を倒すんだけどね。結論、今剣ちゃんは阿津賀志山に出陣させてはいけない。まああそこは短刀ちゃんには不向きな場所だからそもそも編成にも組まないんだけど…。

岩融と今剣ちゃんの関係性も難しいものだなあと思いました。今剣ちゃんの中に溜まっていく感情に理屈でしか返せない。劇中のセリフでそんなようなセリフあったよね?何とかしてあげたい、助けになりたい、だけど正解がわからない。そりゃさ、自分だって弁慶生きてんだから心穏やかではないよね!それでも岩融は刀剣男子である自分の立場を理屈ではわかってて、今剣ちゃんにもそれを押し付けようとするっていうと語弊がある気もするけど今剣ちゃんにも理解させようとするわけじゃん。たぶん、今剣ちゃんにそれを押し付けることが正解じゃないのもわかってるんだよね。とても難しい…。阿津賀志山行かせるのにこの編成組んだ審神者はマジ鬼かと思うけど彼らが成長するためには必要な試練だったんだろうなあ。それでも折れたら元も子もないけどな!でも最後、やっぱり今剣ちゃんのためには岩融が必要で岩融のためには今剣ちゃんが必要であるということにお互いが気付いて理解してたからそれで良かったのかなって思う。

あとね〜、清光と石切丸の対立も上手く盛り込んであるなあって思いました。お互い、立場が違うからね。清光のセリフで1番心に刺さったのは「隊長が死んでも任務を遂行する、それが新撰組のやり方なんだよ!(あくまでニュアンス)」だったんだけど、石切丸の返しが「ここは新撰組じゃないんだよ(あくまでニュアンス)」であああああ…って頭抱えた。今回は標的が義経だから隊長である清光は主の期待に応えようと頑張るじゃないですか。でももしこれが沖田くんだったら、それでも清光は容赦なく切り捨てられるのかなとか考えちゃって。まあ清光は沖田くんだったとしてもこれは過去であり今の自分の使命、って切り捨てられるのかな〜!っていうのが色々考えた末の結論です。生きてきた時代も在り方も主も違うんだからぶつかるのは当たり前だと思うんだけど、最後はお互いに分かり合えて良かったね。

ライブも楽しかったです。キンブレ持ってっただけで乞食もしてないけど、流石に目の前に三日月様と清光が来たときは固まりました。オタクのピギャり具合もすごかった(笑)


めっちゃ軽く収めるつもりだったのに気付いたら2000字も書いちゃってた…。1回しか観てないくせによくここまで書いたな?!くそにわかの感想なので適当に読み流してください!次の公演も楽しみだなあ!!!



元推しとさよならするということ


もうすぐ2016年が始まって早くも半年が過ぎようとしていて、わたしが本命を降りてからも大体半年くらい経つことになる。まだ新しい推しを見つけられなくて色のない生活を送っている。推しなんて簡単に見つかると思ってたんだけど、いざ見つけようと思うと見つからないもんだよね!推し(仮)には出会いましたが推し(モノホン)になるには決め手がなくて考えあぐねてる。なんだかな〜!踏み切れないんだよな〜!


そんなことは置いといて、この間元推しの同厨(ほんとに仲良いです)に「戻って来たら?」って言われた。言われたからと言って彼女が何か戻るために工作をしてくれたわけじゃないんだけど。まあ要約するとわたしが苦手だった同厨が降りたらしい。だから、戻って来ても良いんじゃないかと。他にも何か色々話したけど要約するとそんな感じだ。一生降りないと思っていたあの子が降りた。喜ぶとかそんなのじゃなくて素直に驚いた。だってね、ほんとに降りる気配なんてなかったんだよ。公演はいつも全通してたし貢ぎもし始めたのも知ってた。元推しからもそれなりに大事にされてたのに。降りた理由に関しても少し聞いたけど、あんまり言及しないでおきたい。まああれだね、女って業が深いのです。

そこでわたしの中に「元推しのところに戻る」という選択肢が出てきた。ほんとに正直なことを言えばそういう選択肢を考えなかったわけでもない。離れてすぐのときはやっぱり好きって何回か思った。別れたてのカップルかよってな。結構な覚悟を持って3年半にさよならしたつもりだったけどわたしの性格も相まって完璧に断ち切るのは難しかった。かっこつかないけど戻ろっかなって思ったときもある。だって、元推し本人に向かって「降りるからもう2度と来ないね!バイバイ!」って言ったわけじゃないからちょっと公演干して戻っても不思議には思わないだろう。忙しくて来れなかったんだあ、なんて言っときゃ済む話でしょ。まあね、戻らなかったわけですけど。その間に色んな舞台とか行ったよ。話が逸れるからその話はまた機会があればするけど、それで、彼に戻るという選択肢が今わたしの目の前にある。不思議なものですね。

そんなこんなでこの間、元推しの舞台を観てきた。ほんとに久しぶりだった。舞台に立つ彼を見て、ああ、こんなだったなあ、って色んなことを思い出して心底懐かしくなった。舞台自体は面白かったけど何とも言えなかった。前に見たクソ舞台よりは何万倍も良かったけど1回見たら満足するくらいで。っていうか寧ろ何回も見るのしんどくない?そして、わたしはやっぱり彼には戻らない、と漠然と思う舞台だった。それは舞台に問題があるというよりは彼に問題があると言った方が良いだろう。

その人によって、決まった役柄ってあると思う。明るい人物をやることが多いとか闇を抱えた役が多いとか。彼の役柄について言及してバレると困るからやめとくけど、今回もまた似たような役だった。わかるよ。似たような役だから演技が似るのは仕方ないことなのだけど、彼の演技はワンパターンだった。何回でも言うけどわかるよ?!でも、似たような役でも声のトーンを変えてみるとか動きを変えてみるとか、何かあるんじゃないかなって、わたしは思ってしまってそう思ったら止まらなくて次第に苛ついている自分がいて。彼に戻るという選択肢は漠然と消え去ったのである。


わたしが元推しから離れたからそう思ったのか、離れてなくてもそう思ったのかはわからない。今まで好きだった人にこんな風に思うのが寂しくてしんどいなあって思った。好きだったのに、離れて良かったのかもなあ、なんて思うのが心底寂しかった。

でもこれが本当の「降りる」という行為なのかもしれない。好きな人だったらどこまでも全てを許容してどんなときでもついて行こうと思う。そういうものですよね、わたしもずっとそうだった。じゃあ気持ちがなくなったら?その結論の行き着く先が、これなのかもしれないと思った。


推しへプレゼントを贈ることへの云々


最近俳優へのプレゼントへの記事をよく見かける。いろんな記事で見かける通り、俳優へのプレゼントって完全に自己満足で使っても使わなくても俳優に罪はない。そうやって分かっていても使う使わないにおいてはすったもんだあるわけだ。俳優って大変だね。だけどそれも仕事のうちだから頑張って働いてほしいと思う。

かくいうわたしもプレゼントに関してはすったもんだしていた人間なので、「自己満足」としては割り切れない部分がある。っていうか自己満足で完結するにはお金がかかりすぎるよね。割に合わね〜!って何度も嘆いた。自己満足って心底馬鹿らしいものである。


わたしの推しについて話すと、彼は贈られたお洋服も好みに合わないものはとことん着ないタイプだった(と思っている)。わたしの印象では認知しているとかしていないとか関係なく、好みに合わないものは着ないって感じだった。その点で言えばわたしの勝率はかなり安定していて周りのオタクに比べたらお洋服を着てくれていた方だと思う。まあ、あくまでわたしが思っているだけなのでオキニの人からのプレゼントは十中八九使っていたのかもしれない。実際のところはよくわからない。

色んなお洋服を着てくれた中で1度だけほんとに腹が立って馬鹿だったなあと思ったのは彼が割と最近になって着出したブランドの1番ベーシックなTシャツをプレゼントしたときで、着てくれたことを喜んでたんだけど、全然知らない同厨もそのTシャツを贈っていてプレゼントがかぶったこと。好きなブランドとかを挙げてる俳優にはよくあることかもしれないけど割と本気で落ち込んだし割と本気で腹が立った。誰に見られているかわからないというのは怖いもので、ブログのコメントって世の中の人誰でも見えるようになってるから書くときは気を付けた方が良いよ。


何はともあれ、やっぱり自分が贈ったものを使ってもらえるのは嬉しい。ブログの画像を何回も確認してふわふわした気持ちになって。使ってくれてありがとうって言わずにはいられなくなる。ツイッターで呟かずにはいられない気持ちもわからなくは、ない。それくらいふわふわしてああ幸せ!って思う。

プレゼントを使ってもらうと、わたしはよくプレゼント使ってくれてありがとうって手紙を書いていた。これってみんなやってるのかな?手紙を書く度に、お金を使ってるのはこっちなのに使ってもらってお礼を言うなんておかしな話だよなって思った。それでもやっぱりありがとうって手紙を書いた。不思議なもんだよね。

そしてこれぞまさに自己満足なんじゃないだろうか。使ってくれるかもわからない高いお洋服を選んで、送料をかけて事務所に送って、五分五分の確立で着てくれたらふわふわして浮き足立って喜んでありがとうってなる。大金叩いて何してるんだろうって思うんだけど、このお金で自分のお洋服も買えるし自分にもっとお金かけることもできるな〜なんて思うんだけど、やっぱり結局やめられない。そのくせ、着てくれなかったら何だかんだ落ち込むし何で?って思う。自己満足と言いつつ、それだけでは完結出来なくて俳優も巻き込んで事故になる。難しいね。どっかの大きい事務所はプレゼントを使うことも仕事の1つになっていて必ず使ってくれるって聞いたことがあるけどあれはほんとだろうか?誰か知ってる人がいたら教えてください。

何だか書きたいことがまとまらなかった。難しいね!

わたしたちオタクが消費者でありお客様であるという事実は不変のものだけど、結局のところ優位に立っているのは俳優なのかもしれない。でもプレゼントを贈るも贈らないもオタク次第だし、自己満足って心底馬鹿らしいものである。



推しを降りるタイミングと引き際


推しを降りるタイミングって、みんなどうやって決めてるんだろう?引き際を1度逃してしまうと永遠に降りられない気さえしてくる。


同担拒否についての記事にも書いたけど、今の推しを好きになって3年だか4年だかになる。好きになったのが2012年だから、きちんと計算したら4年目に突入したところだ。これが他の人からして長いのか短いのか、もしくは平均くらいなのかはわからない。わたしの周りにはきっちり1年スパンで推しが変わる人や1年も満たずに推しが変わる人もたくさんいたけど、わたし自身は半分意地でここまで来た。

最初彼を好きになったとき古来より推しへの愛がヘビー級チャンピオンのわたしは「未来永劫この人のファンでいる」ってそう思った。いやいや未来永劫って、って笑ってしまうんだけどこの頃のわたしはおばさんになっても何とかして彼を追っかけたいと割と本気で思っていた。それからちょっと大人になって認知厨というこれまた厄介なオタクになったわたしは認知をゴールとして認知されたら降りるかもと友だちに豪語していたのだけど、結果、認知されたからといって降りることはなかった。認知されたらされたで余計彼に「彼のファンのわたし」として認識された気がして「彼のファン」というグループから欠員を出してはいけないような気がした。前にジャニヲタの人が書いた記事で認知されたら降りにくくなるという話を見たけどそれに似たようなものだと思う。これもまた気になったら検索してみてください。あとそもそも彼はそこそこ人気、くらいの人だったからわたし1人が減っただけでも、と考えざるを得なかったというのも認知されて降りなかった理由の1つにある。実際はオタクの分母は少ないのに太客が多い(と思う)し、現場に行けば彼のオタクがそれなりにいた。だから本当はわたし1人いなくなっても彼にとっては痛手でも何でもなかっただろう。ブログのコメント数がいつもより少なくなるくらいで、寧ろ彼からすればお経のように長くて呪われるんじゃないかってくらいに重たい手紙も見なくて済むから良かったんじゃないだろうか。メンヘラがいなくなって良かったね!

彼を好きでいる間、いろんなことがあった。そりゃもう良いことも悪いこともたくさん。しかも良いことなんかよりも悪いことの方が色濃く残っているし良いことも悪いこともたくさんあったと言いつつ、比率的には悪いことの方がたくさんあった気もする。降りようと思ったことはそれこそ銀河に広がる星の数ほどあった。主に降りようと思った原因は対応が悪くて病んだときで、でも結局ちょっとすると回復してまた舞台の上でキラキラ輝いてる彼を見たいと思うようになる。それと、わたしは何かあると勢いでプレゼント買っちゃうっていう自分でもよくわからない負のスパイラルの中に生きていて、割と現場でムカついたり何かがあるとマチソワ間にプレゼントを買いに走ってはぶち込んだりしていたけど、その持病で送ったお洋服を着てくれたらモチベーションはいとも簡単に回復する。オタクってほんとにちょろいよね!でもきっとそうじゃなきゃやっていけない世界なんだと思う。

そんなことをしていたら何だかんだ4年目に突入してしまった。1番新しい彼との記憶はあまり良いものではなくてどっちかっていうとなかったことにしたくてあまり思い出したくもない。でもそれももう1ヶ月も前のことだ。たぶんこれから先はその記憶が新しいものに変わっていくのも長くかかるようになるんだろう。降りると決めた年末には年明けの予定がまったく発表されてなくて周りのオタクが焦っていたのに年が明けたら一気に情報が解禁された。1つだけ気になった舞台があったので友だちに頼んで連番してもらうことにした。でもそれも5月だか6月だか、だいぶ先の話だからそれまでわたしは彼に会わない予定だ。少し前だったら5ヶ月も彼に会わないなんて有り得なかったし耐えられなかったけど今は本当に落ち着いていて、逆に6月の舞台に行くことの方が何となく不安に感じる。今まではそれがしたくても出来なかったのに何故かあっさりと出来るようになった。推しを降りるタイミングって、みんなどうやって決めてるんだろう?この間テレビで千原ジュニアが「結婚はタイミングって意味がわからんと思ってたけど、やっぱりタイミングなんですわ」と話していて、降りるのもタイミングなんじゃないかなと思った。1度逃してしまうとたぶん次につかまえるのは中々難しいと思う。いや、喧嘩別れだったら話は別だけどね。最近よく炎上してる俳優を見かけるけどどうして彼らは自分が自分を商品としている、オタクあっての人気商売だと気付かないんだろう。自分はアイドル俳優ではなくて演技派俳優だから彼女がいても自分の人気には影響がないとか思っているんだろうか?みんな大泉洋かよ。まあこの話は今の話とは関係ないから置いておくけどみんな1度身の振り方を考えた方が良いと思う。とりあえず幸いわたしは彼と喧嘩別れするわけではなくてわたし自身が離れたいと思って離れるだけなので、結局タイミングだったんじゃないかな。やっぱり好きがマックスに高まっているときに降りるのは無理だ。そう考えたらわたしの彼に対する“好き”もだいぶ変わったんだろう。これもまた大人になるってことなのかもしれない。彼も年取るしわたしも大人になるわけだ。おばさんになるまで追っかけるのは無理だったよ。でも彼は物心ついたときから俳優になりたくてその夢を叶えた人なので、きっと彼自身はおじさんになっても俳優を続けているだろう。それはそれで何かちょっと寂しくなるなあ。





でも結局のところ降りるのを決めるのは自分自身であり、取捨選択の自由は全て「お客様」であるこちら側に委ねられているということですね。




「同担拒否」という厄介な事柄について


最近、「同担拒否」についてずっと考えている。

少し前にツイッターで同担拒否についての考察みたいなはてなブログの記事が回ってきたのを見かけた。興味があったから読んでみたんだけど、同担拒否にはりあこ型だけじゃなくて推しへのスタンスの違いが合わない人を拒絶するタイプもいるみたいな記事だったと思う。うろ覚えなので興味のある人は探してみてください。それを読んだ同担拒否のわたしは、確かに納得する部分もあったけど、自分自身がそれに当てはまらなかったからなんとなーく腑に落ちなかった。否定するわけじゃないし、ツイッター見てたら「わかる!」って言ってる人も結構見かけたしわかるんだと思う。



嫌な話をする。最近、好きになってから3年だか4年だかになる推しを降りることにした。何で降りるかっていうと理由は挙げだせばキリがないくらいあるけど、1番はこの推しにも割と面倒くさい感じに同担拒否を拗らせたから。もちろん他にも理由は山ほどある。自分のリアルな生活のことだったり推し自身についてだったりそりゃもう色々。まあ関係ないからそれは置いといて、そうそう同担拒否。自分のことながらこれがまた厄介なんだよ。

今の推しを好きになってから、同担拒否のくせにそれを押し殺して同厨の友だちをたくさん作った。ここからが本格的に嫌な話で、何でそんなことをしてたかっていうと内情を探りたかったから。スクールカーストじゃないけどTOなんて単語もあるくらいだからオタクの中にもカーストはあると思ってる。ツイッター繋がっててつぶやき見てるとこの人は大体これくらいかなってカーストのポジションが、なんとなーく見えてくる(気がする)。虎穴に入らずんば虎子を得ず?ちょっと違うか。もちろんわたしのものすごく勝手で主観的な順位付けでありヒエラルキーなのでうまく隠してる人もいて、まったく見えてこない人もいた。ツイッターで大きな声で「プレゼント買った!着てくれるかな?」なんて画像付きとかでつぶやいちゃってる人はカースト的には大したことないオタクだと思う。まあ、あくまでわたしの勝手な主観なので。あと、面白いなあと思うのは推しがブログ更新したあとに「〇〇くんありがとう♡」とか「幸せ♡」とかつぶやいて匂わせてるオタクね。ツッコミ待ちかな?じゃあ事故る前にスルーしとこう!そんな感じでオタクのカーストを見極めるために同厨をフォローして仲良くなった。でも何だかんだほんとに仲良くなって毎回連番してくれる友だちも出来たりして悪くないかともちょっと思ったりもして。それでもね、結局同担拒否だから、事件は起きる訳です。ちなみに事件は会議室じゃなくて現場で起きました。

同厨と仲良くしていてもやっぱりカーストは気になる。今の推しにはTOというか、オキニがいる。わたしも詳しく知らないからその人が何かしたからオキニなのか顔が推しのタイプだからオキニなのかはわからないけど、あの人はオキニ。今までわたしが見た中でカーストは1番上。どこまでなら話してもわたしの正体がバレずに済むかな。とりあえずその人には、どう足掻いても勝てないだろうなっていうのが見てわかった。天上人みたいなその人は置いといて、わたしと仲良しの同厨はカーストは同じくらいだと思ってた。たぶん実際のところは色々と考慮するとわたしの方が下だったんだけど、同じだと思ってたんだよね。でもわたしが自分のリアルな生活を省みて現場に行く回数を減らして貢ぐのもやめたくらいのときから、これまたなんとなーく差が出来たような気がし始めた。しかも推しからの媚び売りが始まったような気までした。バレると面倒くさいからそのことについて詳しいことは書きません。推しは明らさまに人によって対応が違うタイプじゃないし割とオタクには平等に優しいタイプだから、わたしの考えすぎかもしれないけどね。それでもそう思ったら最後、そういう風にしか見えなくなる。

貢ぎもしなくなって舞台にも通わなくなったわたしと高額のプレゼントをくれて舞台も全通してくれるオタクとどっちが推しにとって大事かって言ったら後者に決まっている。もちろん理解しているつもりだ。何が問題かってその後者に当たるオタクが自分と仲の良い同厨だからわたしのモチベーションが崩れ去る原因になったのだと思う。たぶん、全然知らない人だったらそもそもブログの写真の中にその人のプレゼントが置いてあったとしてもわたしにはわかりっこないし。ネガティヴに定評のあるわたしなのでこれもあれもそれもプレゼントなんだろうなって想像はしたと思うけど。こうして度重なるカーストの開きと逆転劇にモチベーションが0になったわたしは、今の推しを降りることにした。グッバイ、大好きだった推し。推しのことはまたバレない程度に別の記事に書こうかな。

それで、ここからようやっと本題に入りたいと思います。とんでもなく厄介な「同担拒否」について。思うに同担拒否のほとんどはりあこ思考なんだろう。でも、わたしはりあこではありません。「俳優」としての肩書きがついてる彼は好きだったけど、彼にリアルに恋してリアルに好きかって言われるとまったく好きじゃないし全然恋してない。寧ろあの人がリアルにわたしの近くに存在していたら苦手なタイプだ。あんなへらへらして笑って流そうとする男の人、絶対に無理。顔もタイプじゃない。そうやってリアルでは好みじゃないから、だからこそ推してたんだと思う。それと、冒頭で書いたスタンスが合わない人を拒絶する同担拒否。わたしはそれでもない。例えわたしと同い年で同じところに住んでいて、同じ数の公演入ってまったく同じ額貢いでいて推しへ抱く感情も瓜二つのオタクがいたとしても、駄目なものは駄目だったんじゃないかと思う。じゃあわたしは同担拒否の何型なのか。推しを降りてからこれを延々と考えてたんだけど、結論としてカーストが自分より上の同厨が嫌いなだけだった。そりゃあ自分よりカーストが下だって思う同厨も好きじゃないけど、「この人より推しに大事にされてる」とか「この人より推しに必要とされてる」とかそうやって優位に立てるから、正直眼中にないといえばない。あるといえばあるってことにもなるんだけどね。自分が優位に立てるっていう優越感。それがわたしには必要だった。でも、自分よりカーストが上だってなればそれはなくなるし寧ろわたしが、相手からすれば取るに足らないちんけなオタクになるわけだ。それがわたしには無理だったんだと思う。はー、なんて嫌な性格、嫌な話!でも、わたしが同担拒否にある理由は考えて行き着いたらそれだった。さて、これはわたしって同担拒否の何型なんだろう?心底嫌な話だけど、わたし以外にもこういう人はいると思う。今書いてて思ったけど要するに排他的同担拒否だから、結局りあこと同意義なんじゃ?誰かまた何か名前つけて教えて下さい。


こうやって同担拒否についてなんて記事を書いてるわたしだけどほんとに他意なく好きになった同厨もいる。お互いに何となく苦労が分かち合えて良い距離感で付き合える人だったり、何でもぶっちゃけれちゃうくらい仲が良い人だったり。カーストなんて関係なしにわたしはとても好きだし勝手にとっても仲良しだと思っている。。どうして何でもぶっちゃけることができるくらい仲良くなったのかは忘れたけど、何でだったんだろうね。そんなこともあって、だから、同厨も悪くないかなとも思ったりしたりしなかったり。




でももし次に誰かを好きになるなら、同厨の友だちは絶対に作らない、とわたしは思う。